将棋

将棋の魅力 「タイトル戦」

現在、将棋界では全てで8つのタイトルがあります。

タイトルが8つもあると、「あれ、このタイトル戦はどんなルールだったっけ?」と思いませんか?

個人的にここで8つのタイトル戦のルール、おおまかな流れなどをここでまとめてみました。

画像と記事は一部、NECさんの奥深き将棋の世界タイトルの歴史を覗いてみようから引用しています。

最も歴史があるのは名人戦

現在は順位戦でA級の良い成績者だけが名人位への挑戦権が得られるわけですが、昔は現在と違っていたようです。

世襲制とは特定の地位や職業、財産等を、子孫代々承継することで、つまり昔は実力があるから名人というわけではなく、血筋や家系によって「名人」という人が選ばれていたのです。

最も歴史があるのは名人戦で、江戸時代までさかのぼります。当時は世襲制で名人が決まっており、名人となると将軍の前で腕前を披露するという役割を担ったそうです。明治以降も実力で一番強いのかを決する仕組みはなかなか構築されずにいました。このままでは将棋界が発展しないと危惧した関根 金次郎十三世名人が自ら名人位を返上、毎日新聞社(当時は東京日日新聞)が主催者となり名人戦を創設し、昭和10年に実力名人制が始まりました。

「奥深き将棋の世界 タイトル戦を覗いてみよう」より引用

タイトル戦の主なルール

もっとも歴史があるのは名人戦だということがわかったところで、次に現在のタイトル戦で持ち時間・最大で何番勝負(勝ち負けが交互した場合)なのかをまとめた表を将棋散歩 ~遊び駒でもイイじゃない~さんより引用させていただきます。

七番勝負においては先に4勝したほうが勝者で、五番勝負においては先に3勝したほうが勝者となります。一番体力を消耗するのは間違いなく竜王戦・名人戦・王位戦と言えそうです。二日制については、一日目は必ず互角の状態で「封じ手」の場面を指している棋士が決めるようで、

これより先はややマニアックになるため、ご注意ください。なお、引用先はウィキペディアとなっています。

竜王戦について

読売新聞社が主催していた「十段戦」が発展的に解消され、1988年に発足したのが「竜王戦」で、アマチュアの実力者も参加できるほどの大型棋戦です。

全棋士にアマも参加 超大型の「竜王戦」

将棋界最高の公式戦創設(社告)

読売新聞社は昭和37年以来、将棋十段戦を紙面に掲載、将棋ファンから好評を博して参りましたが、このたび十段戦を第26期(今期)限りで発展的に解消し、日本将棋連盟と共同主催によって、新たに将棋界最高の公式戦「竜王戦」を発足させることになりました。「竜王戦」はこれまでの棋戦をあらゆる面で大幅にこえる超大型棋戦で、竜王獲得者は棋士として“最高の栄誉”をもって処遇されるほか、将棋界空前の賞金2600万円が贈られます。

出典:「読売新聞」1987年10月1日朝刊

ウィキペディアより引用

「名人戦」について

将棋のタイトル戦のうえで、もっとも過酷と言っても過言ではない「名人戦」。

プロ入りからC級〜A級へと駆け上がり、A級で好成績を残せた者だけが得られる挑戦。

最短でも5年という月日が必要で、順位戦で戦っている棋士たちも生活がかかっているため一筋縄ではいかないとされています。

また、名人位を通算5期獲得すると引退後に「永世名人」を名乗ることができます。

他のタイトルの永世称号と異なり、「○世名人」という称号となる。これは、江戸時代から続く終世名人制を引き継ぐためであり、最初の永世名人である木村義雄は、関根金次郎十三世名人の次であるから十四世名人を名乗った。

ウィキペディアより引用

ネーミングが面白い「お〜いお茶杯王位戦」

ネーミングは伊藤園さんが出している緑茶飲料「お〜いお茶」を狙ってつけたような印象すらありますが、たまたまのようです。

2021年から特別協賛として伊藤園が発表したことにより、第64期以降からは「伊藤園お〜いお茶杯王位戦」となったそうです。

1954年に産経新聞社主催の一般棋戦「産経杯」が準タイトル戦「早指し王位戦」(早指し王位決定戦)に発展的に解消されて始まった。1960年には、ブロック紙3社連合(北海道新聞社、中日新聞社、西日本新聞社)が主催に加わり、正式にタイトル戦に格上げとなった。それまで、ブロック紙3社連合は、名人・A級棋士を対象にした名人A級勝抜戦とB級棋士を対象にしたB級選抜トーナメント戦という2つの一般棋戦を主催していたが、これらは全て王位戦に統合された。

1962年、産経新聞社は新たに「棋聖戦」を創設することになり、王位戦の主催から離脱した。その後、1967年に東京新聞社が中日新聞社に営業譲渡されたのに伴って、東京新聞社主催の東京新聞社杯高松宮賞争奪将棋選手権戦も統合され、東京新聞にも王位戦が掲載されることになった。さらに、1973年には神戸新聞社が、1984年には徳島新聞社が主催に加わり、現在は北海道新聞・中日新聞(東京新聞を含む)・神戸新聞・徳島新聞・西日本新聞の5紙主催となっている。

2021年、緑茶飲料「お〜いお茶」を製造販売している伊藤園が特別協賛を発表。これにより、第62期と63期では棋戦表記が「お〜いお茶杯王位戦」となった。第64期以降は協賛企業と商品名を冠した「伊藤園お〜いお茶杯王位戦」となっている。

「王座戦」について

1953年に一般棋戦として創設(同年、囲碁の王座戦も開始)されたが、「王座戦」の棋戦名の命名は棋士の花村元司による。

1983年(31期)にタイトル戦に格上げされた。前身は「世代別対抗将棋戦」。五番勝負の勝者は王座のタイトル称号を得る

そして王座は、5期もしくは10期タイトル保持すると「名誉王座」となります。

なぜ名誉と称されるのかというと、囲碁の棋戦と同一スポンサーのためのようです。

「王将戦」について

棋戦名は駒の「王将」が由来で、毎日新聞社が公募で命名した。1950年に一般棋戦として創設され、翌1951年にタイトル戦に格上げされた。七番勝負の勝者は王将のタイトル称号を得る。

2021年度の第71期からは、綜合警備保障が特別協賛に加わり正式棋戦名称をALSOK杯王将戦として行われている。

また、2019年度の第69期に於いて外食チェーン「大阪王将」を運営しているイートアンドが特別協賛に加わり、正式名称を大阪王将杯王将戦として行われた。

王将戦のみ、他のタイトル戦とは違い10期以上タイトル保持で永世王将というなかなか厳しい条件となっています。

「棋王戦」について

1974年に一般棋戦として創設され、翌1975年(1期)にタイトル戦に格上げされた。前身は最強者決定戦。五番勝負の勝者は棋王のタイトル称号を得る。

2021年、コナミグループが特別協賛、大塚製薬が協賛を発表。これにより、第48期からは棋戦表記が「棋王戦コナミグループ杯」となる。

棋王戦で注目する記録としては羽生先生の連覇もそうですが、大山先生の年齢もびっくりです。記録だけみると、谷川先生の連続で挑戦者決定トーナメントに39期もなることも並大抵の記録ではありません・・・。

「叡王戦」について

もともとはコンピューター将棋のAIと対局が目的とされて開催されていました。

コンピューターは人間らしい手は指せず、持将棋(引き分け)に持ち込むと駒の点数という概念が得意ではないため、おかしな手を連発する弱点がありました。

また、攻め手がなくなると「意味のない捨て駒」や詰み筋に入っても最後の一手まで指す傾向にあり、いくらAIといえども学習しきれない部分が弱点でした。

2015年の電脳戦ファイナルで最終になったことは残念で、今の時の人と言える藤井聡太先生との対局も見てみたかったのいうのは本音のところ。

2015年度にドワンゴ主催で一般棋戦として第1期が開始され、2017年度の第3期からタイトル戦に昇格した一番新しいタイトル戦である。番勝負の勝者は叡王のタイトルを得る。

一般棋戦時代(第2期まで)

本棋戦発足以前、プロ棋士対コンピュータ将棋ソフトウェアの棋戦である将棋電王戦が開催されていたが、2015年の電王戦FINALをもって団体戦としての電王戦は一つの区切りとされた。

電王戦に類する棋戦の存続を希望したドワンゴが日本将棋連盟と協議した結果、まずドワンゴ主催で新たな一般棋戦を立ち上げ、優勝者が、電王トーナメントを勝ちあがったコンピュータ将棋ソフトウェアと、装いを新たにした電王戦]で対局する事で合意した。 新棋戦の名称は一般公募から選出され、公募案から主催者が9つに絞り込んだ上で、公式サイトから一般投票を行い、「叡王戦」に決定。優勝者は「叡王」の称号を得る。対局の模様は、約50 – 60局がニコニコ生放送で生中継された。

電王戦FINALまではタイトル保持者は出場しなかったが、本棋戦の第1期には糸谷哲郎先生、郷田真隆先生が出場した。なお、本棋戦とその関連イベントでは、タイトル保持者であっても段位で呼称した。

「棋聖戦」について

今とは違うものの、江戸時代末期に活躍された天才棋士・天野宗歩先生は他の棋士を圧倒した部分があり、「実力十三段」と呼ばれたほどです。そんあ特別な才能を持ったものに対して「棋聖」という肩書が与えられたそうです。

産経新聞社主催の棋戦としては、1951年に開始した一般棋戦の産経杯が源流である。産経杯は1954年に準タイトル戦の早指し王位決定戦となり、さらに1960年からはブロック紙三社連合の協力を得てタイトル戦の王位戦に格上げとなった。1962年に産経新聞は王位戦を離脱し、新たに棋聖戦を開始した。当初は年2回(前期・後期)開催だったが、1995年からは年1回に変更。2018年4月からはヒューリックが特別協賛に入り、正式名称をヒューリック杯棋聖戦とすることとなった。

タイトル名の「棋聖」は、本来は将棋・囲碁に抜群の才能を示す者への尊称であった。将棋では、特に、江戸時代末期に現れた、不世出の天才棋士・天野宗歩を指すことが多く、天野には十三世名人の関根金次郎によって棋聖の称号が贈られている。また、護国寺には、小菅剣之助・関根金次郎らによって八代伊藤宗印を記念する「棋聖宗印之碑」が建立されている。

まとめ!

タイトルにも名称に至った理由、歴史を紐解くと重みがあり、それを気にするあまりに実力が出せず負けてしまったり、タイトルを一つ取るだけでも十分なのではと思えてしまうほどです。

今後もタイトル戦がどのように戦われていくのか、目が離せないのは間違いでしょう。

それではこのあたりで。