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歌手の華原朋美さん 神奈川・関内ホールで 6年ぶりツアー

歌手の華原朋美さんが実に6年ぶりとなるコンサートツアーを開催されたことがスポーツ報知にて公開されました。

神奈川・関内ホールでコンサートツアーの初日となる横浜公演を行い、自身の代表曲である「I’m proud」「I BELIEVE」のほか、globeのカバー曲「DEPARTURES」なども含め伸びやかな歌声で12曲を披露されました。

個人的にはまた歌っている姿に感動すら覚えるわけですが、よくぞ立ち直ってくれたなぁが率直な意見としてあります。

彼女の過去や経歴をよくわからない人は一度、目を通すことをお勧めします。

この記事では華原朋美さんがどのように活動されてきたのか、またどんな葛藤と戦われてきたのかをまとめてました。

・グラビアから歌手になられるまで

・小室哲哉さんとの出会いは幸か不幸か

・度重なる試練?乗り越えた先に

グラビアから歌手になられるまで

もともとグラビアからスタートされた経緯があり、アイドルとしてバラエティ番組『天使のU・B・U・G』(1994年10月〜1995年3月)にレギュラー出演していた際、視聴していた小室哲哉さんに見初められ、番組プロデューサーを介して小室さんが当時、経営していた店「TJM」に呼ばれたことがきっかけでほどなくお二人の交際が始まります。

小室哲哉プロデュース時代

1995年から歌手として本格的に活動が開始されます。

第一弾シングルである「keep yourself alive」は当時、メディア出演などあまりなかったものの、オリコン・シングルチャート最高8位を記録。

5週連続TOP10入り、いきなり37万枚のヒットとなります。

続く翌10月発売の2枚目のシングル「I BELIEVE」が驚異的なロングセラーを記録しオリコン最高4位を記録。同曲で年末の新人賞を総なめにされます。

以降も順調に活動されていき、「桃の天然水」のCMで「ヒューヒュー」というフレーズが大ヒットとなり、1600万ケースを売上るという現象も起こされました。

このまま順調に物事が進むかと思われた矢先、1998年の12月に小室哲哉さんと破局を迎えてしまいます。

小室哲哉さんとの出会いは幸か不幸か

1999年1月30日、自宅で料理中にガス中毒で倒れ緊急入院。原因はやはり、小室哲哉さんとの破局による精神的ダメージが大きく、当時24歳でありながら薬物依存のような姿になってしましました。

写真は2020年10月1日の週刊女性PRIMEより引用。

しかし不幸なことばかりではなく、2019年に外資系企業の男性との間に45歳という年齢でありながらも第一子男子を出産されます。

同年7月には初のファンクラブ・Pretty Eyeを発足し、復帰シングル「as A person」を発売、オリコン6位・約30万枚のヒットを記録。全国4都市でPRイベントを開催し、『ミュージックステーション』を皮切りに8か月ぶりにテレビ復帰した。11月には全曲自身作詞で松浦勝人プロデュースによるアルバム『One Fine Day』を発売し、オリコン初登場7位を記録。初のファンイベントも開催した。しかし、心身共に不完全な状態であることから翌2000年早々に再び「100%の自分を取り戻す」ために無期限休養に入り、カナダへ留学する。

Wikipediaより引用

デビュー10周年(2005年 – 2006年)

デビュー10周年を迎えた2005年、5月に過去の失恋を歌った「涙の続き」を発売し、6月に10周年記念となる6枚目のアルバム『NAKED』を発売。

同6月から10周年記念コンサートツアー『10th Anniversary Celebration 華原朋美 Concert 2005』を開催。

8月には『赤毛のアン』主人公アン役でミュージカルデビュー。

2006年2月、「桃の天然水」の発売10周年を記念した復刻版のイメージキャラクターに8年ぶりに再起用され、新旧対比CMのオンエアがスタート。同月、イメージソングを収録した初の両A面シングル「華/Keep On Running」を発売。春にはミュージカル『ビューティフルゲーム』に出演。7月には中島みゆきさんの書き下ろしによる新曲「あのさよならにさよならを」を発売。

ミュージカル女優としての活動を広げられるなか、この頃から交際相手のDV被害に遭い、再び薬物依存になってしまいます。

所属事務所との契約解除・芸能界長期活動休止へ(2007年 – 2011年)

年末の気管支炎の影響から2007年年明けから4月いっぱいまで自宅療養することに。

5月に仕事再開し翌6月から本格復帰しますが、所属事務所が6月28日付で専属契約の解除を発表。

事務所側は「突然の仕事キャンセル等が続き予想以上に心身ともに健康の回復状況が思わしくなく、これ以上芸能活動を支えることは不可能」と判断。

公式ファンクラブ”Pretty Eye”も6月29日付で解散し、事務所の意向を受け所属レコード会社のユニバーサルミュージックとの契約も28日付で終了することに。

3か月後にはファン向けに自身のブログを開設し、その中で仕事キャンセルについて謝罪の文を掲載。理由について、自身の健康管理が悪く精神的にもダウンしたこと、さらに尾骨を骨折していたことも告白。

しかし、マスコミで報道された直後、わずか9日間でブログは突然閉鎖。

明らかに正常ではなくなっており、タクシーに行先を告げれず病院に搬送されることが2回ほど報道される形に。

見かねた家族の判断で閉鎖病棟に入院していた時期も。

退院後は父親の住むフィリピンに渡り、NPOを運営する父親の勧めでボランティア活動に従事。現地の孤児院で子供の世話などをして過ごされます。

度重なる試練?乗り越えた先に

このように様々な困難や苦難を乗り越え、見事6年ぶりのツアーを成し遂げた華原朋美さん。

ネットでは体重の増減が話題になっていますが、小室哲哉さんが作曲を歌うためには瘦せすぎると声が出ない、のどだけ使うと声がかれてしまう、という理由からコンサートではややぽっちゃりとした姿になっています。

まとめ!

知る人ぞ知る華原朋美さん。何気ない6年ぶりのコンサートではチケットも完売され、まだまだ根強い人気が伺えます。

今後はミュービックスクールの設計も計画されており、『歌手を夢見る小学生、中学生、高校生に、歌を私流にレッスンさせていただけたらいいなと。こういうステージに一緒に上がって歌えるような夢を描いております。』とスポーツ報知にして語られています。

ご自身の歌手人生も70歳までがんばりたい、という目標をお持ちのようなので末永く活動されていかれることを、願うばかりです。

それでは本日は、このあたりで。